このブログはロードバイクAdvent Calendar2024 に参加しており 22日目の記事です。
こんにちは温玉ねぎとろと申します。
今回は「自分は自転車でどこまでいけるのか。」という題で、26歳現時点での自転車との向き合い方・今後について思うがままに任せて書いてみようと思います。
自転車乗りの先輩方は「俺の時はこう考えたぜ」などアドバイス・コメント等ありましたら是非よろしくお願いいたします。自転車乗りの後輩の皆さんは「20代中盤ってこんな感じなんだなー」となんとなく読んでみてください。
今回このタイトルで書いてみようと思ったきっかけ
今回、早速アドベントカレンダーにエントリーしてみたはいいものの、何をネタにするかは非常に悩みました。自転車旅・機材レビュー。うーん、せっかくだからもっと違う内容で書きたい。と迷っているタイミングでくろみつさんの「『子育てと趣味の両立』ぅ~???んなもん出来たら苦労しねぇ!」を読み、逆に子供目線も踏まえながら、決断に迫られる26歳の現状を書いてみるかと決断をしたのが12月21日22:30。すいません、0時には間に合いませんでした。。。
温玉ねぎとろとは
まずは私のプロフィールを簡単にご紹介。
・26歳男性
・文学部卒
・会社員、ライター
・関西出身中国地方在住
・自転車のスタイル「ロングライド」「自転車旅・キャンプツーリング」「グラベル」「散走」
簡単なプロフィールとしてはこんな感じです。
詳しくはこちらにも書いています。(最近リライトしました。)
自転車との出会い
自転車との出会いは小学校3年生の頃にアウトドア好きな父から「アワイチしようぜ」と連行連れて行ってもらったことが自転車をはじめたきっかけでした。
今思えばいきなり何の練習も自転車も普段そんなに乗っていない8歳の子供を150km走らせる親がどうかしているのですが。これもうほぼ虐待やろw
苦しいながらも、廃墟の観音像を見たり、謎のパラダイスまで自転車を押して登ったりしながら、南あわじでキャンプ。次の日は途中で釣りをしたりと、わんぱく小僧ぶりを発揮しながら、なんとかゴール!これが私の自転車のデビュー戦です。
小学校を卒業するまで
長男である私がアワイチを完走(してしまった)ことに味を占めた父は2歳下の次男も連れ出し、弟が小学校を卒業するまでの間にアワイチ(2~3回)ビワイチ、しまなみ海道往復、鯖街道往復と、関西近辺の当時から有名だった自転車のルートにも連れて行ってくれました。(当時私たち兄弟は自転車に乗るとおいしいご飯を食べさせてもらえる位しか思っていませんでしたが)
その他には二回くらい富士山も登った気がします。
家訓「四国八十八カ所巡礼」
中学生に入るとテニス部に入りテニスに傾倒してしまっため、一度自転車からは離れました。
しばらくして中学校を卒業し、高校に入学するまでの春休みに、入学祝いとしてGios Mistralを買ってもらいました。これが私のちゃんとした初めてのスポーツバイクです。
ところがどっこい、おまけでテントと5万円ほどの札束もセットで渡されました。今までそんな大金を持ったこともなかったので訳もわからず喜んでいると
「今から、南海フェリーに乗せるから、四国回ってこい。終わるまで帰ってくるな」と水曜どうでしょうの導入のような感じで島流しに遭いました。四国へいくことに。これが初めてのソロでの自転車旅。当時は嫌ではなくワクワクして楽しかったです。
※ちなみにこの時、母と祖母が号泣していたと後から聞きました。
まだ中学生ですからね。。かわいい子には旅をさせよを真に受けすぎだろ。。
当時の写真が残っていないので残念なのですが、結果としては高校生に入ってからの長期連休も合わせて3回くらいで無事に結願。この旅での「出会い」「自転車の楽しさ」「キャンプの楽しさ」などの経験が今の自転車のベースとなりました。
※私が結願したことに再び味を占めた父は下の弟たちにも同ミッションを敢行。次男は無事に結願するも四万十川でテントが流され、三男はリタイアしました。結果として四国八十八カ所巡礼は我が家のイニシエーションとして決定づけられました。
大学入学から今まで
大学生での旅
大学では文学部に入学し、国際文化系の学科で音楽や絵画、写真やアニメなど幅広く学びつつ、ランドナー主体の自転車サークルに入りました。(幽霊会員でしたが)
時々、国内を転々と自転車で旅をしながらそれ以外の生活は節約・節約・節約。バイト終わりにはサークルの同期と夜の京見峠を登ったり、銭湯にいったりレコードを聴きながら朝まで音楽や自転車について語り合ったりと、令和とは思えない高等遊民のような大学生活を送っていました。
シルクロードとヨーロッパ横断、コロナ禍へ
コロナが来る前の2回生と3回生では節約したお金+スポンサーの方々に応援をいただきながら、シルクロードを旅したり、ヨーロッパを走るためにまずランドナーを組んで横断に挑んだと活動範囲も世界中に拡大しました。
「大学の研究も自分が旅した地域を絡めて、もっともっと走って世界中を回ってやるぞ!」
とすべては順調に思えたタイミングで例のアレがやってきます。
世界的パンデミックコロナです。
当時、次の旅としては休学をしてアフリカに行くことを考えており、そのためにオーストラリアでワーホリをしようとしていましたが、頓挫。
であれば切り替えて、学問の道へ進みながら次の機会を待つかと教授に相談をしていると、教授が急病で倒れられ、、、
ということでやることもないままダラダラ過ごすのはもったいないと就職活動をすることに。奇跡的に就職先からはすぐに内定をいただくことができ、そのまま就職。
その流れでちょっと旅したことがあるくらいの、縁もゆかりもない中国地方へ。
入社と挫折
入社してからも旅・自転車への思いは消えず、今思えばそれが祟ったのかもあるかもしれません。
大きく体調を崩してしまいました。(要因は様々でほかにもあるのですが)
「本当にあの時就職という選択しか残されてなかったのか?まだやれたんじゃないのか?」という思いは今でも少し残っています。
そして現在へ
体調はある程度回復した段階で、仕事にも復帰。
当時は大阪に住む彼女がサポートをしてくれ、無事に復活することができました。
復帰とともにコロナ禍で大学の後輩の自転車旅文化や知識が喪失していく場面にも遭遇。なんとか残せないものかとこの「自転車旅行研究会」というブログを打ち立てました。(当時の後輩たちは輪行も怪しかったので、技術指導に大学へ行くこともありました。幽霊会員だったのに卒業してからは貢献している気がします。)
ブログを書くならせっかくだからまだ行っていない国内の地域を自転車で回ってみよう!
ということで、会社にもある程度なれてきたタイミングで昨年のGWに富山から秋田に向けて旅久しぶりのキャンプツーリングへ。
その旅の道中で出会ったのがM船さん。当時は本州縦断1900kmの道中だったようで、ランドナーにバイクパッキングが珍しかったらしく、鶴岡のファミマで話しかけてくれました。
いろいろ自転車の話を話する中で
「好きならとことん貫きなさい。それがいつか仕事になるかもしれないし、ならなくとも必ず自分をいつか助けてくれる日が来るから」
と去り際に残し、颯爽と北上していきました。
かっこよすぎでしょ。
この言葉が忘れられず、金言として胸にしまいつつ、当時参加されていたM船さんや大学の先輩に憧れ、その年の6月からブルベに参加することに。何度も失敗しましたが、なんとかSRも獲得。
今年に入ってからはダメ元でエントリーした1900kmも無事に完走。さらに私の原点である四国一周1000kmも完走。どっぷりブルベに浸かってしまいました。
会社員として仕事をしながら土日のリフレッシュとして、日々の目標としてブルベはある意味私の中で欠けていた何かを埋めてくれる新しい世界でした。
これからどうしていきたいか・今後のビジョン
長々と書いてしまいましたが、結局本題はここなんですよね。
これからどうしていきたいか。
結論としては「まだまだチャレンジャーとして自転車旅・ブルベに挑戦していきたい」と考えています。
自転車旅は初めてから10年を超えました。ロングライドは2年目ですがまだまだ限界に到達している感じはないので、とりあえず伸ばせるところまで伸ばしてみたいと思っています。
また、2025年に私は27歳になります。憧れのLELにも挑む予定です。ここまで来たらPBP・LELにとどまらず、もっと遠くまで、いけるところまで挑んでみたい。ジャパニーズオデッセイやTCR?どこまでも。
そしてもう一つ。「自転車を通して社会に還元できないかと考えています。」どのような形になるかはもがいている途中ですが、ライターなどの活動ももっと広げて、今まで旅をしてお世話になった地域や人々に何か恩返しができないかと模索しています。
現実は甘くはない。壁とどう向き合うか
やりたいことや夢・ビジョンを口に出すことは簡単です。ただ、それを実際に実現するとなるといくつもの壁にぶち当たります。時間・お金・家族・仕事。。。
一人では越えられない壁がたくさん出てきます。
仕事も辞めずに続けていけばそれなりに安泰に暮らしていけると思います。ただ、自分自身のやりたいことを追求するとなると、現状の環境では両立は難しいような気もしています。どこで判断をするか。同じ年の彼女との結婚も考えると残された時間はあまり多くはありません。
さあ、どうする?温玉ねぎとろ、仕事・自転車・結婚どこまでどのタイミング??そろそろ決断と行動が必要だ!!
ということで足掻き回っている26歳自転車乗りの現状を書いてみました。世の中にこんなことをぶち巻いていいのかはわかりませんが、読んでいただいた方からのアドバイス・コメントを期待して、自分の中での整理は少しできたのかなと思います。
長々と駄文でしたが、これが26歳夢と現実の狭間で揺れる自転車乗りの現状です。お時間ありがとうございました。
最後にこの記事を読む自転車乗りの後輩諸君に以下のアドバイスを送る形で締めくくりたいと思います。
「行きたいと思ったタイミングが行き時、だから絶対に行け!!!!!!!!!!!!」
温玉ねぎとろ
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