このブログはロードバイクAdvent Calendar2025 に参加しており 8日目の記事です。

昨年から参加をさせていただいてる温玉ねぎとろです。昨年は1記事の投稿となりましたが、今年は2記事を投稿します。
温玉ねぎとろについて
- 自転車歴15年以上。
- 大学ではサイクリングサークルに所属。
- ソロで自転車海外10カ国以上来訪。
- 最近はロングライドを中心に行う。
- 2023.2024ランドナーでSR獲得
- 2024RM1900完走
- 自転車のレストアなどが趣味。
2025年夏のLEL・南欧サイクリングから帰国して

今年の夏、ブルベを始めた時の目標の一つだったロンドン・エディンバラ・ロンドン(LEL)に参加しました。
https://globalride.jp/trip-travel/london250803_jp/
LELに参加した時の記事はGlobal Rideさんに寄稿しました。
しかし憎きStorm(Floris)の影響で大会自体が中止となり、続けて繰り出したスペイン・ポルトガルでは異常な熱波に見舞われ、帰国時には追い打ちをかけるように自転車のフレームがベッコリ凹んでしまうというアクシデントがありました。

幸いにも廃車にはなっていないが、傷跡は深い。
(理由については気持ちが高まってきたら別の記事にする予定。いつか書く、、、はず)
その他にも色々と災難?に見舞われたような気がしますが、もはや忘れてしまいました。(防衛反応)
思い起こされるのはアンダルシアで見た朝焼けとLELのボランティアのホスピタリティでしょうか。どちらも今回の旅の中では強烈な印象が残っています。

アンダルシアの朝焼け。

LEL Bostonのホスピタリティには大感動!
それでもどこか満足にはほど遠く、やはり心のどこかで「LELに対して、これだけ準備してきたのに勝負すらさせてくれなかった」という事実が、どこか私の後ろ髪を引いている気がします。
追い討ちをかけるように「傷を負った愛車」と「無慈悲なクレジットカードの返済額」さらには「勤怠管理システムに表示される有給休暇数」が防衛反応が作り出した記憶の世界から現実に引きずり戻すように事実を突きつけてきます。
当然ながらそのような災難に見舞われた予後はいいとは言えず、自転車のペダルに足をかけるのも月に数度という体たらく。自分の自転車にかけていた情熱はどこへ行ってしまったのか。
いつの間にか「もっと自転車に乗らなくてはいけない。」と、自分自身にプレッシャーをかけてしまっていたような気もしており、少し疲れてしまった気がします。
自転車から少し離れてみる

本格的に自転車に乗り出した大学入学時から今に至るまで、初めて自転車から離れようと思いました。
今思えば自転車に乗ってはブログの記事に書き起こして、写真を整理して。そんなルーティンから離れること自体がかなり久しぶり。
(とはいえ、そこまでブログを更新していたのかと言われると微妙ですが、)
自転車を純粋に楽しむというよりはなんとなく義務的な流れに陥っていたようにも思います。
そのため、「本当に乗りたいと思った時だけ乗る。」「書きたいと思った時だけ書く。」
と活動自体を見直してみることにしてみました。
情熱の維持
ある日、大好きな音楽でお金を稼いで生活をしている方とご縁があり、質問をさせていただくことがありました。
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「(大好きな)音楽を仕事にされていて、音楽が嫌いになったりしたりしないんですか?時には音楽へのモチベーションが下がることもあると思いますが、音楽への情熱・高いパフォーマンスをどのように維持し続けるのですか?」

「情熱の維持に関してですが、これは「情熱」の捉え方に答えがある気がしています。
とかく世間では、情熱と競技思考、優劣思考が同一視されがちで、例えば音楽に「情熱を傾けるならコンクールに命をかけるべきだ」「情熱を傾けるなら一番にならなければ意味がない」という考えが散見されますが、私にとっての「情熱」は少し違います。
情熱を火で例えるなら、料理で使う火には強火や弱火がありますが、それは火の優劣を表しているのではなく「個性」に名前をつけたにすぎません。
強火は表面を炙るのに適していますから、食材の中まで火を通したくない時に使います。弱火は、食材の中に火を通したい時に使います。それが火の個性であるように、情熱にも個性があるはずです。
競技思考の情熱もあれば、そうでない情熱もあるということです。
そこをいくと、私の情熱は「すそ野型の情熱」です。

裾野の林道を走る。頂上を目指さなくてもいい。

押したっていい。それもサイクリング。
競技思考が孤高の頂点を目指すものに対して、私は音楽のすそ野を広げる事に情熱を感じています。
音楽という山の麓で、「この道は危険だから通らない方がいい」とか「ここからの景色は絶景だよ」と教え、ガイドをする事に生きがいを感じています。
同じ山を楽しむにしても、頂を目指すか、すそ野を広げるかは等しく同じ愛と情熱に溢れていると考えています。」
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なるほど。この答えをいただいた時にスッと自分の力が抜けた感じがして、気が楽になりました。
普段見ない系統の動画を漁ってみたり、違う界隈の人とも交流をしてみることで、ゆるやかに視野を広げる時間を作ることにつながり、巡り巡って自転車の楽しさを再発見するヒントにもなっているような気もします。

シクロジャンブルでは出展する側にチャレンジ!!
特に普段関わらない界隈の方と交流をすることで、お互い新しい刺激になり、逆に自転車に興味を持ってもらうこともありました。

自転車のフリマで出会った。自分とは全く違うジャンルの方達。
火加減が弱くなったら違う料理を作れる。
違う料理を作ったら、新しい食材にも出会える。
その経験が、次に自転車に戻ったときの“味”をより深くしてくれる。
そう考えると、モチベーションが弱火の時期というのはむしろチャンスでもあるような気がしてきます。
最後に
今回はパラパラと文章を書くことで改めて自分の現状を整理、(自分自身を納得させるように)してみました。
今この文章を読んで「ふーん」と思っている方もいつかは弱火になることもあるかもしれません。
そのときに少しだけ。こんな記事読んだなーと思い出してもらえると幸いです。
モチベーションが上がらない時、疲れた時は無理して続ける必要はないと思います。
火加減が強くなる時もあれば、弱くなる時もある。
焦らず、比べず、自分のペースで。
そして時々、誰かの話を聞いたり、違う趣味に触れてみたりしながら、また自然に火が強まるのを待ってみることも時には必要なのではないのでしょうか。

私は少し、寄り道をして違う料理を味見してみることにします。
温玉ねぎとろ



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